阪神タイガース1985年の優勝・日本一での、御堂筋パレードの記憶 〜なぜ、無かった?〜
今年、2025年の御堂筋優勝パレードを見て、ふと思いました。
阪神1985年、御堂筋パレードは「なぜ行われなかったのか」
1985年、阪神タイガースが球団史上初の日本一を成し遂げた瞬間、街は文字通り“狂喜乱舞”。しかし御堂筋での優勝パレードは実施されませんでした。当時の状況を振り返ると、今のパレード文化とまったく違う風景が見えてきます。
パレードは「計画すらされなかった」
1985年の日本一後、球団や大阪市は御堂筋パレードを実施しませんでした。これは「やらなかった」のではなく、そもそも計画自体が存在しなかったというのが実態です。当時の報道によると、優勝直後に市内のファンが暴徒化に近い状態で自然発生的に集まり、市の警備リソースは完全にパンク。
自然発生の“逆パレード”。ファンの大渋滞で御堂筋は大混乱に
パレードをしなくても、御堂筋にはファンが押し寄せました。まるで選手が通らないパレードのように、車道にまで人が溢れたと言われています。地下鉄の階段は人で詰まり、御堂筋の交差点は機能不全。市交通局職員の回想では「地下鉄の乗客があふれて駅封鎖を検討した」とされるほどの大混雑でした
(参考資料)下記記事を参照して下さい
いま「警備費をかけてパレードを実施している」背景には、この1985年の教訓がある
2023年・2025年の御堂筋パレードは、
行政 / 警察 / 阪神タイガース / スポンサー が事前に綿密に計画し、協賛金のほとんどが警備費に大規模に投入されているとの話もあります。
これにはもちろんファンサービスと安全確保の目的がありますが、実はもう一つ、
「1985年のような混乱を起こさないために、公式パレードで“交通と人流を管理する”」というガス抜きの側面も指摘されています。
1985年の混乱は、40年経った現在でも行政や関係者の間で“語り継がれる事件”かもしれません。その反省が、その後の御堂筋パレードの整然とした運営につながっているといえます。
あれから40年。今日の御堂筋パレードは、あの経験が生んだ「安全で、みんなが安心して楽しめるパレード」なのだと思うと感慨深いですね。




