【動画紹介】岡田元監督の勝つための育成・采配がわかる!ラジオで明かされた独自の野球理論
先日、ラジオ関西の番組に阪神タイガースの岡田彰布オーナー付顧問がゲストで出演されていましたので紹介いたします。2週にわたって出演されていたようです。
#25 ゲスト:岡田彰布さん
この日は岡田さんの文武両道の学生時代をテーマに語ります。
まずは幼少期、小学生の頃に岡田さんのご実家が近くだったというパーソナリティのDJ83さんが、「岡田選手の家の前でいきなり”岡田コール”をしたら、お母さんが出て来られて『あんたうるさい!』って言われたんです」などのお話から。その時のお話を「ああ、そうやったかな」って、ちょっと照れくさそうに振り返っていました。結局お母さんの「あんたうるさい!」の一言から、岡田さんご本人が「ええやんかと、せっかく来てくれたんやから」と出てきて、サインや写真まで撮ったようで、もう「神対応」という言葉がピッタリのファンを大事にする姿勢です。そんな優しい一面を見せられた後、話題は現役時代の怪我の話へ。「その時の83年って俺足怪我してた時やからな」「絶好調の年やったわ」と岡田さん。その怪我も、自分の意に反した守備位置の指示が出て、セカンドゴロを追って足を伸ばした際に、濡れた芝生で足を取られてしまったことが原因だったそうで。この経験から、「監督になってから、コーチにあんまり守備位置の大きな指示はするな言ってる」「守ってるもんのね、その感覚のほうが絶対正しい思てる」とご自身の指導哲学を語ってました。
そして、学生時代のお話。文武両道を本当に地で行っていたようで「中学はね、明星なんですよね」と中学時代からのお話へ。岡田さんが早稲田大学に進学したいと思ったのは、小学生の頃にNHKで見た早慶戦に憧れたからなのだそうです。「あの、ワセダのね、帽子とこう襟付きのねクリーム色のユニオームを見て、憧れた」と、その憧れがあったからこそ、明星で中学・高校を経て早稲田への進学を視野に入れていたようです。色々あって北陽に行くことになったけど、北陽高校の監督だった松岡先生が、早稲田を目指していることを知っていて、家庭教師をつけて勉強する日を認めてくれたという、エピソードも飛び出しました。
そして、一般入試を受けて憧れの早稲田大学へ。推薦がなかった時代で浪人で入って来るメンバーが結構多いチームで、色々タテ関係が複雑で大変だったそうです。セレクションでは「10スイングで7本のホームラン」「15スイングで10本のホームラン」などと色々な噂にがあることについて、答えは「俺はね、10スイングだと思うんだけど、7本ってあれよ、確か場外よ」と、なんとも驚きの事実をさらっと明かしてくれました。「あと3本はネットにあたったで」とも。そんな実力でも、六大学には江川さんなど周りに実力者も多く「本当プロ行けるとはなかなか思わんかったよ」と意外な言葉。大学3年生の頃に、プロに行った先輩たちを見ての比較で、自分自身もプロの道も考え始めたとのことでした。そして、プロ入りのドラフト会議では、なんと長嶋監督から直接電話がかかってきたという裏話も!「我が巨人軍は明日1位で指名させてもらいます」と言われたそうですが、結局指名はなく、「大変やったよいろいろ。俺もう今やから言えるけど」と、これまた貴重なエピソードを披露。
最後は、こういった経緯を振り返り「俺の夢というのもあるかもしれんけど、やっぱり両親の夢やな、これはな」と振り返る岡田さん。特に、お母様は岡田さんが4年間東京に行っていたため、大阪に帰ってきてほしいという思いが強かったそうです。「どこでも良かったんちゃう?お袋は。関西の4球団やったら。」「おやじは阪神希望、って感じやったけど」と、親御さんの深い愛情を感じるエピソードでした。今のご自身があるのは、ご両親の夢を叶えたいという強い思いがあったからではないでしょうか。岡田さんは最後に自身は当時のなかではかなり恵まれていたと語り、「今は、結構子供に自由な選択権あるんじゃない?昔よりは」「昔のほうがなかったような気する」とも。ご自身が中学の時に灘中を目指すような塾に行かせてもらっていてしっかり勉強頑張っていたのですが、「野球がしたいんで明星に行きます」と言ったら、塾側はびっくりして生徒としてクビになったというエピソードも。このお話を拝見して、岡田さんの野球に対する真摯な思いと、ご自身の道を切り開いてきた努力や強さを改めて感じました。
#岡田彰布
#26 ゲスト:岡田彰布さん
この日は岡田さんの指導者時代を振り返ります。
岡田さんが、指導者としての第一歩を「プロ野球の一番底辺やったからね」というオリックスの二軍監督から始められたというお話からスタートしました。当時の一軍はイチロー選手が活躍していて「若い選手がいてるみたいな、そういう感覚があったんだけど」実は二軍は「8番キャッチャー杉本っていうのがおって前年2割1分ぐらい、あと全部1割台よ」という状態だったそうで、どうやって2軍で優勝させたのかと聞かれて「うん、でもピッチャーが4位ぐらいやったんかなオリックスも。でもバッティングはもう全然。ほとんど(技術は)高校生ですよ」と笑って話されていました。そこで、「差別はしちゃいけないけど、ちょっと区別だけしとかなあかんと思ってね」というお言葉が出ていました。プロの世界では「全員がプロ野球で1流にはなれないんや」「毎年10人ドラフト取ったらね、分からないとこで10人首になってる世界だ、ということを分からなあかん、て言うてね」という現実があるからこそ「一軍に上がれないと判断した選手には、田舎帰ったらなヒーローなんやから、それやったら子供にね、少年野球で教えたれ言うて」と、重点的に色々と教えた選手がいたそうです。「阪神では才能のある選手を区別したが、オリックスでは逆やったなぁ」と、次の道を教えるというエピソードに感慨深いものがありました。
また、阪神時代には、野村克也監督から「二軍は短所を直せ」と言われた時には「ああ、これは俺、ちょっと無理やと思った、ちょっとちゃうなと」と自分の指導哲学との違いを感じ、選手の「いいとこ伸ばしてやりたい」という思いを貫かれたそうです。特に若い選手には、いきなり打ち方を変えさせるのではなく、「頭打った時にはね、絶対選手いうのは、『え、僕どうしたらいいんですか?打ち方分かりません』って絶対言うてくる」「そこまで我慢して待つという忍耐強さが大事だ」と。「教えたがるコーチな、あかんよな。手柄にしたがるんかな」とも。一方で「選手の才能は早く見抜いてやりたい。1軍で育てるんではなくしっかり2軍で才能を磨いて上がらないと、1軍でうまくいかなくて変な指導を受けておかしなる」という実体験を話されていました。そして1軍監督としての話では、2005年と2023年の優勝を比較されて「それチームとしてはさ、いまのタイガースよりも2005年のほうが全然チームとしては強かった。特に打撃陣ね」と断言されていました。2023年の優勝は「この1年は勝つだけに行ったよ」「役割分担をしっかりしたよ」と、勝つことに徹底した結果だそうです。岡田監督の「個人個人の力ってそんな強ないよ阪神って」という言葉は、まさにチーム力の勝利を物語っています。
クライマックスシリーズ、そして日本シリーズに向けて「あとはね、もう調整だけやね」と仰っていました。改めて岡田監督のチームへの愛情と深遠な野球理論を感じることが出来ます。
#岡田彰布
参照 Video Title
#25 ゲスト:岡田彰布さん#26 ゲスト:岡田彰布さん
参照 Video Description
女性アスリートを中心に、これからの世代を担うアスリートの皆様を応援する番組「ハートフル♡サポーター」!!#26も阪神タイガースの岡田彰布さん!
岡田さんが監督時代のお話をたくさん聞きました!
色んな選手のあんな話、こんな話
そんなことがあったのか!というお話がいっぱい!
放送時間は毎週月曜日 18:00~18:30
ぜひお聞きください!



